岩間啓子『ロングラン』を読む

川柳

岩間啓子さんの川柳句集『ロングラン』をいただいた。有難いことである。

内容は

水の紐
アフガンの空
寂しい影
茄子の棘
ロングラン

の五つの章とあとがきから成る。一読した感想は、作者は優しい方なのだろうな、ということ。

生き下手な父で楷書の道つづく
行進曲にこだわる父の八月
満月も母も独りやそば枕
カーネーション老母よ甘えていいのです
茄子の棘母を泣かせた日の痛み

満月の句の中で、母は独りである。茄子の句では、作者は母を泣かせた日を回想している。母と娘の関係は難しい。きっと啓子さんにもお母様との関係で悩んだり傷つけたり傷ついたことがあったのだろう。それでも、ご両親に向けるまなざしには優しさが感じられる。

また、現代の世相を憂う句群も、もう誰にも傷ついてほしくはないという作者の優しさからくるのだろう。だが次に挙げる句を読めば、それらが優しさだけでなく、アイロニーと怒りから生み出されたものであることも分かる。

パン種をこねる地雷のない街で
ヒロシマも飢えもしらない鼻ピアス
領海の真上つぎ目のない蒼天
子に渡すガラスケースの第九条
本屋から多喜二が消える疑似平和
さんま焼く政治不信ののろしあげ
ファッションで着る平成の迷彩服
お借りした天地は放射能まみれ

巻末の著者プロフィールによると、啓子さんは1941年のお生まれとのこと。平和への願い、反戦のお気持ちは人一倍強いものと思われれる。「お借りした」の句からは、啓子さんの謙虚な生き方とともに、ご自身も現在の世のあり方に責任があるのだ、という自覚が感じられる。だからこそ、さんまを焼いて政治不信ののろしをあげるのだろう。優しいけれども強い芯をお持ちなのだ。

その理由の一つは、作者が北海道に生まれ育ったことにあるのかもしれない。

稲の花代々つづく一揆の血

この句からは、自身のルーツへの誇りが感じられる。決して支配する側ではなく、代々、支配に苦しみ一揆を起こす側であったのだろう。それは逆に言えば、人を虐げず実直に誠実に生きてきた証でもある。その血が啓子さんの中にも脈々と流れている。

続いて、北海道の柳人ならではの句を挙げる。

一諸に狂おうよ春風そそのかす
雪国の宿命雪の子を産まん
樹氷咲く耐える女のかたちして
逢いましょう冬の刑期が明けてから
雪虫の薄命ひとの天命や
雪雪雪ゆきと握手をして生きる

「春風」の誘惑の狂うほどの強さ、「冬の刑期」の厳しさは、雪国の人間でないと出てこない表現かもしれない。「ゆきと握手をして生きる」もまた、雪国で生きてきた作者の知恵。私は北海道に住んで長いが、まだこの境地には至っていない。

また、次の句群からは、作者の川柳の目――物事を一筋縄では捉えない目――が存分に感じられる。

水の紐人のこころは縛れない
善人の語尾にもやわらかな小骨
たい焼きほっこりこの世はうそ寒い
しあわせも服もただいまMサイズ
虫篭よりのぞくヒト科のおぞましき
ファイルする苦言失言花言葉
女偏あたりが火元かもしれぬ

この世のうそ寒さも人の醜さも知ってなお優しく強い、啓子さんの人としての器の大きさが光る。

最後に、私の一番好きな二句をご紹介したい。

着信音この世を留守にいたします
羽繕いしてますドアを開けないで

「着信音」の句の軽やかさ、羨ましいけれども、この世を留守になさるのは、ひとときのことにして、まだまだお元気に川柳と遊んでいただきたい。
「羽繕い」の句、なんと繊細なのだろうか。もしかしたらこれが作者の本当の姿なのかもしれない。この句集『ロングラン』は、そんな啓子さんが、ご自身の魂をまっすぐに十七音に託されたものなのだろう。とても素敵な句集である。

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