田辺聖子著『川柳でんでん太鼓』を読む

川柳

 川柳に出逢って約13年・・・本当に遅まきながらという感じですが、田辺聖子さんの『川柳でんでん太鼓』を読みました。

「現代川柳の良句佳吟を選び、笑いと共感、庶民の本音を楽しむエッセイ(講談社文庫裏表紙より)」とのことですが・・・とにかく面白い!

 田辺聖子さんご自身は「川柳を自分では作らないが読むのは好きで」と書いておられますが、その「好き」がまことに広く、深いのです。なんで私はもっと早くこれを読まなかったのだろう?と読了後、少し悔しい気持になったほど。

 とは言え、いま読んだからこその楽しみとしては、ちょうど半端に川柳のことをかじっているので、「点と点が繋がって線になっていく」という感覚がありました。例えば、井上剣花坊、井上信子、鶴彬といった名前を知ってはいても、井上信子さんが剣花坊夫人であり、柳誌『川柳人』の主宰でもあったこと、そして、鶴彬を庇護し、その作品を堂々と当時(特高の目が光っている)の『川柳人』に載せていたこと・・・これらは知らなかったため(ネットでも簡単に調べられる情報なので、単なる不勉強ですね)、読み進めていくうちに「そうか、この人とこの人がこう繋がっていたのか!」と、パズルのピースがパチンパチンと嵌っていくような驚きと楽しみがあり、ページを繰る手が止まらないほどでした。

 もちろん、もっと川柳に詳しい方は、もっと踏み込んで楽しめるでしょうし、全くの初心者、という読者にも分かりやすく書かれています。

 例えば、本文冒頭に

   天高く月夜のカニに御座候(杉本一本杉)

 という句が出てくるのですが、この句、私は最初どういう意味か分からなかったのです。が、田辺聖子さんはこの句が「終戦後まもなしに復興した夕刊新聞の一つが、焼跡で意気消沈している大阪市民を景気づけようと、川柳を募集したときの、一位となった句である」と時代背景から始め、愛情を込めて読み解いてみせてくださいます。一度読んだら、もうその味わいの虜になってしまいます。

 そこから、時実新子へ飛ぶかと思うと、織田作之助の「夫婦善哉」の世界へ、更に、プロレタリア川柳作家、鶴彬の句と生涯を紙幅を割いて紹介し、また、川柳中興の祖と言われる井上剣花坊と阪井久良伎、更に岸本水府や川上三太郎ら川柳六大家もきっちり拾い上げ、時には古川柳にも立ちかえりながら、全く読者を飽きさせずに時事川柳を集めた章、恋や愛、性を詠った川柳の章、「結婚やら夫婦やら」の句、仕事、職業にまつわる句、親子の句、老いを詠ったもの、動物の句、たべものの句、女流作家の句を集めた章・・・進んでいきます。主に、一章ごとにざっくりとテーマがありますが、時にはどれと範囲をくくらない章もあり、肩が凝りません。何より、田辺聖子さんご自身が本当に楽しんで読み、楽しんで書いておられるのが伝わってくるのが素晴らしいです。

 本文は、こう締めくくられています。


この本における私の姿勢は、次の句のいうところに尽きる

  主義主張持たず気楽に拍手する(鳥巣幸柳ーーー『日本川柳秀句集』から)


 まさにここに、この本の特徴が表れていると思います。つまり、自分では川柳を書かない純粋読者である田辺聖子さんだからこそ、主義主張を持たず、しなやかな姿勢で、さまざまなタイプの川柳に向き合い楽しみ、そしてその楽しみを読者にも伝えることが出来る本・・・それがこの『川柳でんでん太鼓』なのではないかと思うのです。「現代川柳って何?」という方にはもちろんですが、川柳を書いている方が読むと、肩の力がふっと抜けて、より川柳を楽しめるようになる・・・そんな効果もあるかもしれません。少なくとも私には、そんな効果のある本でした。この本自体は1985年の刊行で、田辺聖子さんは2019年に亡くなられていますが、ご存命でいらしたらこの句はどう読まれるかなあ、と、何かの折にふと思うような、そんな本でもありました。

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